Naldini 2015/06/16 15:25:57 救急隊との現場状況のやり取り等率先しての行動、いざやろうと思っても勇気が要るしなかなかできないものだと思います。 なんて声をかけたら良いか分かりませんが、お疲れ様でしたm(_ _)m 本当ですね、世の中が変わらないと“死にたい”と思う人は減らないですよね… 事故や犯罪も含め、この先死者が減るような、皆が暮らしやすい世の中へと変わることを願うばかりです(・_・、) |
コメントへの返答 2015/06/16 22:10:40 今回の事で思ったのは自分の感性は人と随分違うのだな、と言う事です。上手く表現出来ませんが、私が(恐らく即死したであろう)その人の体に触れた時の感覚は、何と言うかある種の神聖な領域に自分が踏み込んで良いのかと言う感じでした。怪我を治せる医者でもないし魂を救済する宗教家でもない、単なる凡人の自分が触れて良いのかと。しかし、職場や近所の人とこの話をすると死んだ人間を汚物として捉えているのではないかと思えるのです。「塩振っといた方がいいよ」と言う人が多いですし。 では、人間は死んだ瞬間から汚物になるのかと。その魂は(仮に霊魂が存在するとして)肉体を離脱した瞬間から忌むべきものになるのかと。気持ち悪くて近寄れないと言う人の根底にはそんな感性がある様に思えるのです。特にそうしたものに対し「グロ」の一言で片付ける人はそう言われても仕方ないでしょう。 しかし、もし自分の体がグチャグチャになった時にそんな扱われ方をされたら悲しいと言う言葉では足りない気持ちになるのではないでしょうか? それが自殺ではなく不慮の事故に遭遇して「まだ生きたい」と思う人なら尚更でしょう。死にかけている人、死んだばかりの人……人はどの瞬間から汚物と見做されるのか? その境界線がどこにあるのかは人それぞれなのでしょう。さすがに腐乱していれば私だって触りたくないと思いますから。でも私は死んだばかりの(或いは死にかけている)人を汚物とは捉えたくないし、自分がそう扱われたくもないのです。 こうした非常事態に直面すると自分は無力なのだなと思い知らされます。死にかけている人を助ける医術の心得が無いと言う面だけでなく、住みにくい社会を変える為に何かができるわけでもない、と言う面も含めてです。せめてそうした人達には何か生き甲斐を持って貰えれば、と願うのみです。私だって仕事や生活で辛い事は色々あります。でも愛車で走りたい、愛車をきっちり整備したい(お金掛かりますもん)という支えがあるから辛い事があっても頑張ってるんですから。 |
Naldini 2015/06/16 22:32:33 その通りだと思います。 1B/noteさんの感性が人と違うかどうかは私には解りかねますが、そういう行動を取れたコト自体が、お世辞などではなく心から立派だったと私には思えます。 私だったら、“汚物”だとか“塩で~”だとか、そこまでは思いませんでしたが、きっと怖くなって触れるのを躊躇したり、もしくは目を伏せてしまっているだろうと思います… 情けない話ですが。 でも同じ人間として、それこそ、死にたくて死んでしまった場合じゃないケースもあるだろうし、もしその場に居合わせたのなら、その時自分にできる限りのコトをやれたらきっと素晴らしいでしょう。 |
コメントへの返答 2015/06/16 23:49:37 「怖い」と言う感覚は私にも何となく理解できます。敢えて表現するのは避けますが普通の人なら直視するのも難しい状態でした。ただ、私の場合はそれ以上に「畏れ多い」と感じてしまうのですね。自分に触れる資格はあるのかと。そういう感覚なので私は塩を撒いたりはしてません。 今日近所の人に聴いた所によれば公安が来て身元が判明したとの事でした。ここの住民ではなく遠くから来た人だったそうです。年齢的には20代かせいぜい30代。まだまだやりたい事もあったろうに…。後は遺族の方が悲しみを乗り越えてくれる事を願うのみです。 |
Naldini 2015/06/17 00:37:44 そうですね。 こういうことに対する考えや感性もやはり人それぞれなんですねぇ… 遺族の方の気持ちを思うとなんともやりきれません… ホント、悲しみを乗り越えてほしいものです。 ご冥福をお祈りします。 | コメントへの返答 2015/06/17 08:40:29 何はともあれ人々が生きている事に喜びを感じる、最低でも希望を持てる国・社会であって欲しいですね。例えば借金だらけの日本が自国より経済の豊かな国(どこの国とは言いませんが)にODAを与えるなんて具の骨頂でしょう。そんな資金があるなら先ずは自国の国民の為に使うのが当然ですよ。或いは生活が苦しいのは本人の努力が足りないからだと言うなら、じゃあ自分が今の地位を捨ててその生活レベルになっても同じ事が言えますか、と。全ての人があなた方と同じ地位(政治家や官僚や社長etc...)になったらそんな社会があり得ますかと。 政治家や識者と呼ばれる(肩書が)偉い人達に是非現場に来て私と同じ事をやってみてくれと。その上で未だそんな事が言えるのかと。自ら命を絶つ人達がどんな気持ちでその行動に出たのか、どれだけ追い詰められていたのか。もう動かないけど未だ温かい体に手を触れながら、傷口から流れ出る赤い血を見ながら、ぐにゃりと変形した顔、見開かれたままの濁った眼球を見ながらそれを考えて頂きたいものです。 |