業病 業病


業病と言ふ語を巡って石原慎太郎氏が非難されてるらしいです。

曰く、業病とは本人の惡い行なひの報ひとして罹る病氣を意味するから不適切であり差別的表現であると。

これ、さう簡單な問題ではないんですよねぇ。確かに三省堂の大辭林など國語辭典ではその樣な定義がされてます。



しかし、岩波の漢語辭典を見ると「轉じて、不治の病」と定義されてます。電子辭書なのでキャプチャできませんが學研の漢字源に佛教用語としては惡い行なひの報ひによる病氣、國語(日本語)としては不治の病や難病と區別して定義されてます。大修館の漢語林でも同樣に區別されてます。



つまり佛教用語に由來する漢語として見れば間違ひであるがそこから轉じて日本語化した語と見れば間違ひではないと言へるわけです。

漢語(漢和)辭典では性質上漢語とそれが日本語化したものを區別する樣ですが國語辭典では區別しないのでこんな見解が出て來るのでせう。

ところがこの問題は更にややこしい所があります。つまりその漢字語は日本語としては正しいとされるが本來の意味からすればそもそもが誤用ではないのか?と。

例へば「惡魔」。現在ではキリスト教のサタンの意味が主流ですが元々は佛教用語です。しかし、現在では餘程佛教に詳しい人でもない限りサタンの方が普通だと見るでせう。これと同じに考へるなら業病の日本語化した意味、不治の病を否定する人はサタンの意味としての惡魔も否定しなければなりません。

實の所、日本語ってこんなのだらけなんですよねぇ。間違ひが定着した語とかそれ系の本はちょっと探せば何冊も出版されてる事に氣付くと思ひます。

・獨擅場
本来はてへんの「擅」の字が正しいのですが「獨壇場」と「壇」の字が一般化してます。「擅」の字は「ほしいままにする」の意味なので「壇」にする方がおかしいんですけどね。

・洗滌
滌の字は水をタラタラと流す樣です。滌が條(条)の字を含む事からセンデキ→センジョウと讀み、清める意味の淨の字を用ゐて洗淨の方が一般化してます。

・障礙・障碍
礙・碍の字は「さまたげる」の意味ですが「害する」の障害の方が一般化してます。

・虫
ムシの意味でこの字を使ふのは本來間違ひです。虫の字はエラの張った毒蛇の形に由來します。これに對し昆蟲好きから付けられた手塚治蟲氏の蟲は蛆などの蟲が集まった樣子です。

その語の本來の意味、その語が含む漢字の本來の意味、漢字の讀み方。調べて行けば日本語がまるで整理されてをらずグチャグチャである事が見えて來ます。困った事に辭書を調べても本來は間違ひであるが定着して了った方が見出しになってたりと辭書を調べても本來それが正しいのかすら判らないと言ふのが實状です。

國語研究・教育の怠慢恐るべし。日本では試驗の爲の教育はするけど國民教育は放置されて來た事實が「國語」の面からも窺へます。英語教育とか後廻しでいいから國語をきちんと整理して教育すべきだと思ふんですけどねぇ……。


(02/08/2680)

comments from social media users
林道茶会首席参謀(3rd)
2020年8月2日 23:06
そーデスね。
いくら真面目に車ネタうpしても、密告で全てはパーになりますからネ。




(V)o\o(V)フォフォフォ(V)o\o(V)
コメントへの返答
2020年8月3日 19:39
せっかく真面目に書いても通報魔が気にくわないと密告したらアカウントごと抹殺されて全部パーですからねぇ。消されても痛くも痒くも無い事しか書きたくありませんわな。
岡リ
2020年8月3日 3:46
定着してしまうと間違ってる日本語も正しいってことになるというか・・・・

それって多数決に似てる気がします(;^_^A
コメントへの返答
2020年8月3日 19:41
本来間違いなのが慣用的に使われて定着するってのは英語でもあるんですけどね。ただ、日本語の場合はそれ以前の国語研究・教育のレベルが杜撰すぎると思います。