高齡者だから事故を起こすのか? 高齡者だから事故を起こすのか?


昨日、地元で大きな交通事故が發生しました。場所がミーちゃんを連れて行く病院の近くか…。國道で交通量もそれなりに多いですから事故の危險性は常にあると言へます。が、引っ掛かるのが最近やたら目につく「高齡者の事故」と題される報道です。

果たして高齡者だから問題があるのでせうか?私には「高齡者」である事をやたら煽り立てて免許返上の風潮を煽ってる樣に見えてなりませんが。

高齡者になれば確かに身體能力は低下します。筋力の低下、反應速度の低下、判斷力の低下等々。しかし、高齡者だから全ての人が必ず低下するとは限らないでせう。逆に若い人であってもこれらの能力が缺如してゐる人はいくらでゐもいます。最近問題になってゐる(問題の本質をすり替へられてゐる)煽られ運轉をする人がゐますよね?

兩者に共通するのは運轉に必要な能力が缺如してゐる、乃至は低いと言ふ事です。能力が缺如してゐる人に關しては本來免許を持ってる筈が無いわけですから高齡により能力が缺如するに至った場合は免許返上は自然な流れと言へますし、高齡でない人の場合はそもそも免許が發行された事に問題があると言はざるを得ません。教習所に戻って練習し直して來い!と思う運轉者、多いですよね?

では、運轉能力が缺如してはゐないものの低い人の場合は?その能力に應じた車輛を運轉すれば濟む話です。バイクの免許を取得した人なら當然知ってる事ですが、教習所の課程に入る前に車體の引き起しや8の字引き廻し等の審査を受けます。これらが出來なければそもそも教習を受けられません。實技教習に入ってもスラロームや一本橋等四輪には無い科目もあります。區分は125ccまで(小型車)、400ccまで(中型車)、無制限と三段階になってて教習に使用される車輛もそれぞれ別になってます。更に大型のみ直線波状路があったり一本橋は車輛が大きくなる程難易度が上がる等、現實に要求される難易度を採用してます。

一方、四輪自動車では一應「大型」の區分はあるもののここで言ふ「大型」とはトラック等の業務車輛を想定してます。「大型」で貨物ではなく乘用車に該當する車輛ってバスですよね?

四輪の世界では運轉免許を取得してしまへば輕自動車だらうがスーパーカーだらうが同じ免許で運轉できてしまひます。運轉能力に應じた免許區分が存在しないわけですから。これはおかしいと思ひませんか?

以前、峠道をバイクで走ってた時の事ですが目の前をずっと20km/h以下でノロノロ運轉するヘタクソがゐました。ワインディングが苦手な板バネジムニーで走っても一部のヘアピンを除き40km/hで巡行できる所を直線でやっと30km/h程度、コーナーでは20km/hから奥へ行く程減速してコーナー出口では徐行〜停止寸前状態です。

こちらは乾燥重量で250kg程あるバイクで後ろに付かなければならないわけですから堪ったものではありません。バイクはコーナーを曲がる時に車體を傾けなければならないのであまりに遲いとそのままコケてしまひます。さうでなくても直線でやっと30km/h、コーナーに入ると更に減速なんてギクシャクした走り方をされるとこちらも前走車のペースに合はせたギクシャクした走り方、エンジンの廻轉數に應じた適切なギアの選擇ができず過廻轉かノッキング状態にならざるを得ません(オートマの人には想像できない世界なんでせう)。こちらのエンジンが壞れたらアンタ修理代出すのか?と言ひたくなります。


で、このノロノロ運轉をしてた車、車體後部にPORSCHEと書かれたエンブレムが付いてたわけですな。この運轉者、ポルシェを運轉するだけの能力が明らかに缺如してます。はっきり言って原付で充分です。運轉してたのは若いおねーちゃんでした。

この樣な能力の缺如した運轉者、所謂煽られ運轉をする運轉者は今の自動車社會では腐る程ゐます。本來、免許を取得できる運轉能力が缺如してゐるわけですから免許が發行されてる事自體に問題があるわけですが、それに對しては生活の必要上から移動手段が不可缺だとの反論もあるでせう。

だったら兩者の調和點は?ヘタクソはヘタクソなりに周圍に迷惑の掛からない車輛を運轉すれば濟む話です。自動車免許も運轉能力に應じて區分すればいいでせう。バイクでは現にさうなってるんですから。

では、運轉が下手な人はどんな車輛に乘るべきか?私が頻繁に見掛ける範圍では原付で充分な氣がします。

そもそも一人しか乘ってないし、
大量の荷物を載せてるわけでもないし、
何も無い真っ直ぐな道を原付竝の速度でしか走れないレベル
ですから。

ピザ屋バイクとして有名なジャイロキャノピーで充分ではないですか?


こんなカスタムされたのもありますし。


私自身は日常の移動手段として屋根付きの125ccスクーターを使ってます。


大型のボックスは余程大きな買物でもしない限り大抵の物は積めますし、125ccなので二人まで乘れますから人間二人までなら大抵はこれで濟ませます。猫の病院も大雨とか冬の寒い時でなければこれで行きます。四輪を使ふのは人を乘せる時、買物での積載量がバイクの許容量を超える時、余程の大雨とか積雪等のバイクでの移動が嚴しい時です。

殆どネコ樣の買物(笑笑笑)


屋根付きバイクは雨の日でも雨具が要らないと言ふ利點があります。横が開いてるので濡れるのでは?と思ふ人も多い樣ですが、私を含め實際に乘ってる人は一樣に「傘と同じ程度」だと言ひます。傘と同じ程度なら雨でも問題無いでしょ?それとも雨に濡れると溶けてしまふ體質なんですか?

ただ、バイクだと免許を持たない人が多いと言ふ問題はあります。その場合はこんなのとか


こんなので必要充分だと思ひますけどねぇ。


四輪ではそもそも免許區分が存在しないので原付に相當する車輛は選擇肢が殆ど無いのが現状ですね。國が法律で制度を變へれば製品が生まれるとは思ひますが。

四輪業界の風潮として經濟力に見合った車輛に乘るのが當然である、と言ふのがある樣です。バイクではこの發想は通用しません。經濟力があって高額なバイクを買っても扱へるだけの腕が無ければそもそも走れません。自分が恥をかくだけです。恥をかくだけならマシな方で自爆事故で死ぬ事すらあり得ます。

'80年代のバイク業界が盛んだった頃、作家の高千穂遙氏は中型免許(400cc)を取得してカリフォルニア・ハイウェイ・パトロール仕樣のカスタムバイク(Z250Ltd)を特注して購入しました。ところが教習所をやっとの思ひで卒業した腕の爲、全く乘りこなせずエンストしまくり。相當恥づかしい思ひをしたとの事です。そこで自分の腕の無さを謙虚に認め125ccの地味なバイク(GP125)に乘り換へ練習を重ねました。その甲斐あって當時落とす爲の試驗であった限定解除を果たします。更に超低速ハングオンなる技を編み出したとか何とか。相當なバランス感覺が要求される高度な技の筈……

この樣に運轉が下手ならそのレベルに見合った車輛に乘り腕を上げて行く、レベルが低下したならそれに見合った車輛に乘り換へるのが本來あるべき姿でせう。經濟力ではなく腕に見合った車に乘れと言ふ事です。

問題として日本の小型車輛って動力性能が低過ぎるんですな。せめて125cc〜250ccのバイク竝の性能は欲しい所です。アメリカのこんなのだと充分過ぎる性能を持ってるんですが(笑)。


0-60mph(96km/h)加速=3.2秒
1/4マイル(0-400m)加速=12秒@120mph(193km/h)
最高速度=150 mph(240 km/h)

The problem is not too many single-occupant drivers, it's the design of the cars that they are driving.

They are carrying with them four or more empty seats, taking up an entire lane instead of half of one.

TANGOの公式サイトでは問題の本質をこの樣に指摘してます。この理論の組み立て方は運轉能力と車輛デザインの關係にもそのまま當て嵌まると思ひます。

必要充分な小さく輕い車種が存在すれば(TANGOは1.3tと重いです)事故を起こしたとしても周圍を巻き込んで被害を擴大させる危險性は格段に減ります。車重が2トンもある乘用車なら建物に激突して破壞する樣な場面でも100kgそこらのバイクや輕い小型自動車であれば單獨自爆・運轉者自身の自業自得で濟む事も多くなるでせう。

この樣に屋根付きバイクや小型車輛の事を言ふと安全性云々と言ひ出す人が出て來るでせう。事故の時に乘員の安全が確保されない、と。

それこそがポイントです。私は乘員の安全を確保すべきでないと主張する立場です。對人の事故に關する限り、事故を起こせば運轉者が先づ死ぬ樣な構造にすべきです。理由は簡單です。

死にたくないなら安全な運轉をすればいい。

安全な運轉と言っても速度が遲ければいいってものではありません。公道である以上、ノロノロ走って周圍に迷惑を掛けてはいけません。それが出來ないなら公道で運轉すべきではありません。ミニサーキットでゴーカートでも運轉して下さい。

そもそも運轉免許とは何の爲に存在するのですか?車輛を公道で走らせる爲に必要な二つの技術、即ち機械を操作する技術と公道を他の車輛と共に走る技術の兩方を持ってゐる事の證明ではないのですか?であれば中の乘員を保護する裝備などと言ふものは本來不必要な筈です。現にさうした裝備を付けられないバイクは公道を走ってます。

それでも何らかの事情で運轉者の限界を超えた時、急に具合が惡くなったとか路面に砂やオイルが飛散してたとか、さうした場面に於いて運轉者の能力を補助するのが安全裝備の本來の目的であるべきです。

ところがヘタクソな人間でも自動車に乘れる樣にと裝備をどんどん過保護にして行くのが現實です。その行き着く先は自動運轉でせうか?自動運轉って事は幼稚園兒が一人で乘ってもいいって事ですよね?自動運轉なのに免許が必要なんて事になると笑ひ話にすらなりません。自己矛盾もいいとこです。何が「自動」なんだって話ですよね?

自動運轉は未だ將來の話ですが(個人的には事故時の責任の問題から普及は難しいと思ってます)高齡者を含めた運轉能力に問題がある運轉者に關してはその能力に見合った車輛を運轉させる樣に制度を變更すべきだと思ひます。つまり免許制度の原點に還れと言ふ事です。

鐵の箱に守られ外界の音を遮斷した「快適な居住空間」を追求しズボラな運轉を許容する車輛は運轉者のズボラを助長するだけです。元々能力が低いのにそのレベルを更に下げて行ったその先に何を求めてるんですか?

事故の時に自分が先づ死ぬと解ってれば高齡者だらうがヘタクソだらうが必然的に慎重な運轉をせざるを得ません。公道を走る間常にその危險と責任を嫌でも自覺させ續ける車輛を運轉させればさうした能力の低い人による事故は減るでせう。

それでも能力が不足するならそもそも「免許」を持ってる事自體がおかしいわけですし、事故を起こせば自分が先づ死ぬ事の意味すら理解できないなら運轉以前の日常生活ですら問題がある筈です。そんな人は適切な醫者の治療を受け、重症ならそのまま入院して下さい。道を歩いてるだけでも人に迷惑を掛ける可能性があります。

安全、安全と謳ふのはいいですが究極的に安全を確保するものは何でせうか?私は運轉者自身こそが最大の安全裝置だと思ひます。そして安全裝置たり得ると認められた證據が運轉免許證なのではないでせうか?でなければ何の爲にわざわざ制度として時間を掛けて學課・實技の教習・試驗を受けさせるのですか?免許制度なんて建前に過ぎないと言ふなら制度そのものを無くせばいいんです。


(05/06/2679)

comments from social media users
セラフィム2501
2019年6月5日 20:08
こんばんは〜。

確かにマスコミの高齢者の免許証返納のあからさまな意図を感じますよね〜。


コメントへの返答
2019年6月5日 20:33
そんなに免許を返納させたいんですかね〜。

高齢者だから運転するな、とは言いません。が、運転する能力が無いのに公道で運転するのはおかしいと思います。高齢者であるかに関係無く運転する能力が無い人には運転させてはいけませんし、能力が低い人は能力に見合った車輛を運転すべきです。レベルが上がったら上のクラスにステップアップすればいいわけですから。

車を社会的ステータスと考え経済力に見合った金額の車に乗るのを良しとする風潮は根本的な所で間違ってると思います。
岡リ
2019年6月6日 0:51
ちゃんと運転出来ないのに

免許買えるからダメなんですヨネ(^◇^;)

最近ぢゃ厳しい自動車学校は不人気で

学校側が生徒に媚びるなんてことも( ̄▽ ̄;)
コメントへの返答
2019年6月6日 20:12
高千穂遙氏はダーティー・ペアや映画化されたクラッシャー・ジョー等の作品を出した人気作家です。そして新車購入時にアメリカの白バイ仕様にカスタムできる程の経済力があるわけです。

しかし、自分の腕の無さを謙虚に認め地味な125ccのバイクで腕を磨く事を選びました。自分の腕に見合った車輛に乗って自分のレベルを上げて行く。この姿勢は運転をする全ての人が見習うべきだと思います。
MasaGoto
2019年6月6日 1:51
認知症の老人(に限らずまともに運転できない奴)は以前書かれていた衝突すれば確実に死ぬような段ボール製のクルマに乗せてやればいいと思いますね。

私はすでに降りてしまいましたが、バイク乗りとしては逆走ドライバーにいつかやられるのではと戦々恐々でしょう。
コメントへの返答
2019年6月6日 20:15
普通乗用車の排気量は5ナンバーで2000ccが上限だったと思いますが、私のバイクの2倍です。じゃあ2000ccの乗用車を普段から運転する人が半分の排気量しか無い私のバイクを運転できるか?殆どの人は無理ですね。

燃費競技に使われる様な極限まで軽量化した車体をエンジンその他が丸見えになるスケルトンボディーにして運転させれば自分が運転する「機械」がどんな物か嫌でも自覚するでしょうね。

今は乗ってなくてもある程度以上バイクで走り込んだ人は四輪しか知らない人と違ってこうした事を経験として骨身に染みて体得してるんですよね。

中央線の無い山の中の道を走ってると「左側」を走ってるのに「正面」に向かって来る対向車に遭遇します。自分が運転する車輛の感覚が分からないならもっと小さいので練習しろと言いたくなります。